高岡市生涯学習センター
近代交通の発達
藩政の頃、立野は宿駅(しゅくえき/街道筋にある宿場のこと)の町として、人馬などが往来し賑わっていました。明治になると、人力車が登場しました。その後、大正14年(1925)に高岡・立野間で乗合自動車の運行が始まり、人力車は姿を消しました。住民は、乗合自動車を「チンチン電車」と呼び、その登場を大いに喜んだといいます。/参考文献『立野郷土史』
制作者:高岡市教育委員会